著者の宮城谷昌光氏は、本邦における中国古代を題材とした歴史小説の第一人者と言ってよいだろう。
第35回吉川英治文学賞を受賞した本作は、春秋時代の鄭の国で宰相となって活躍した子産の生涯と彼が生きた時代とを描いている。
この時代の基礎史料となる『春秋左氏伝』が採る記事では魯の成公16年から昭公20年、西暦で言えば紀元前575年から522年までの54年間の中国が、本作の舞台となる。
世界史的にはアケメネス朝ペルシアが成立し、ギリシア人やフェニキア人が地中海で植民活動に励み、ローマはまだエトルリア人の王政時代で、インドで釈迦が生まれた頃であり、日本は縄文時代の晩期にあったと言えば、いかに古い時代の物語であるか、理解できるだろう。
この紀元前6世紀は、春秋時代の中期に当たる。
度重なる内紛によって周王朝が政治権力としては弱体化し、各地に割拠する諸侯が表向きは周王を尊重しつつも好き勝手に振る舞い始めた時代である。
ただ、その諸侯自身も決して安泰のものではない。
いまだ中央集権的な機構を持たず、かつて周王によって封建されたという歴史的な権威によって、有力者たちの上に乗っかっているに過ぎないからだ。
有力者の意に沿わなければ、容赦なく殺されて首を挿げ替えられる。
歴史的な権威を否定する論理が未成熟だったおかげで、その地位に取って代わられる下剋上こそ免れていたものの、君主の神聖性は流血によって穢されていた。
古い時代の権威を擁護する姿勢を誇示する一方で、実際の行動はその権威を踏みにじる世の中で、やがて2つの大国が台頭する。
親戚の諸国を次々に滅ぼし、多数の有力者を内に引き込んで巨大化した北の晋国と、逆に古い時代の権威を強く保存し、王の号令の下に諸国への侵略を繰り返す南の楚国である。
子産が生まれた鄭国はこの南北の大国の間に位置する。
それゆえに両国の抗争の場となりやすく、晋に攻められれば晋に従い、楚に攻められれば楚に従うという具合に向背を繰り返し、何とかその命脈を保っていた。
これが本書の時代背景となる。
本作は、11歳となった子産の「この小国は……」というつぶやきから始まる。
そのつぶやきは、自分の生まれた鄭国の外交における信義のなさに対する嘆きである。
この冒頭で、子産という少年が正義を愛し、現状を批判して変革を目指す者であるという、本作の方向性が示されている。
本作の上巻は、鄭国の政治の迷走とその政権を武の面で支える父の子国の活躍が中心となり、子産の登場は少ない。
だが、折に触れて父の子国の前に現れ、自国や他国のやり方、さらには父の行いをも批判するその舌鋒は鋭い。
その発言は決して青臭い理想に引きずられた軽薄なものではなく、国際情勢を冷静に見極め、合理に基づいた正義を語っている。
だからその言葉は、尊敬する宰相の子駟に付き従うことを優先し、深く考えることを放棄しているところのある子国には痛く響く。
やがて子産の言葉は父の勇気とある決断を導くことになるのだが、それが実を結ぶことはなく、子駟の政治に不満を持つ者たちの凶刃によって子国は子駟とともに果てる。
これが下巻の始まりであり、また子産の歴史の表舞台への鮮やかな登場へとつながる。
父の跡を継ぎ、知のきらめきと礼への精通を認められた子産は年長の大臣に補佐役として抜擢され、その威と信を増していく。
そして遂には最年少の大臣として入閣し、やがては第一位の宰相となって国の改革を進めていく。
その間にも、礼によって自己を律し、自国を律し、他国と対峙し、大国の大臣に対してもはっきりと正論を言う姿勢に一切の揺らぎはない。
物語は、子産が後継者の子大叔に遺した言葉で締めくくられる。
そこで語られる礼の本義は、少年の日に発した嘆きから始まり、生涯をかけて正義を追い求めた子産が見つけた答えなのだろう。
このようにして本作で語られる子産の生涯であるが、彼が明確に主役となって宰相として政権を振るうのは、20の章立ての内のわずかに最後の2章だけでしかない。
大臣として入閣した時からでも5章である。
『春秋左氏伝』などの史料に見える子産の事績は大体この頃のものであるにも関わらず、著者はあえてここを小説の中心に据えることを避けている。
代わりに著者はその父から語り起こし、子産が生きてきた時代の有り様をまざまざと描写する。
主人公の子産を脇に置いて、彼が受け止めて感じ取っている世界の情勢を描くことで、結果として読者もまた同じものを受け止めて感じ取っていく。
そして子産が父や年長の大臣らに向かって放つ意見を見て、彼の成長と見識の高さを共感しながら読み取っていく仕掛けとなっている。
歴史の表舞台に立つ前の子産に無理に活動をさせないことで、作品世界が素直に読者の前に提示され、読者は自然とまずこの作品世界を理解し、そしてそこに生きる子産を理解していくことができるのである。
少年の頃の子産がやや鋭すぎる感もなくはないが、史料に残る成長してからの彼の発言を見ると、それほどに無理のあるものにはなっていない。
この辺りは史料を熟読し、その後世に伝えられた子産へどうやって成長していったのかということを考え抜いた、著者の見事な人物造形と言えるだろう。
無理がないというのは、本作の世界や展開の描写についても言える。
春秋時代については、『春秋左氏伝』によって、いつ、どこで、何があったという出来事の記録と、その出来事に纏わる様々な説話を参照できる。
しかし、その記述の質や量には大きく偏りがあり、非常に詳しいもののもあれば、ほんの1行というものもある。
興味のある方は、一度『春秋左氏伝』と対照してみるとよい。
史料の記述の、場合によっては貧弱ともいえる簡潔さに対し、本作が描く世界の豊かさを実感できるだろう。
著者は出来事と出来事の間の時間的、空間的なつながりをしっかりと把握し、そしてまた例えば軍隊の規模についての『礼記』や『資治通鑑』の引用のように、様々な書物の内容も使って無理なく世界を構築している。
結果として、史料にない著者の想像による記述であっても、それがあたかも史実の出来事であるかのように読むことができる。
著者の語り口も、その時、その場所に実際にいて記録をしていたかのように思わせるもので、これまでに著者が積み重ねてきた経験による技の冴えを感じる。
本作の特徴の一つに、著者も言う通り架空の人名がないという点がある。
かつて著者は『晏子』においても同様のことを行っているが、これもまたすべてが史実であるかのように感じさせる一因となっている。
史料と史料の隙間を埋めて物語を進める上で、架空の人物に人と人、あるいは出来事と出来事とを結び付けてもらい、物語を牽引させることは歴史小説では決して珍しいことではないが、著者はそれを封じたのである。
架空の人物を使えば作品世界に自在に色を加え、物語に躍動感を与えることができるが、一方で彼らの色が強くなりすぎると史実らしい世界からは離れてしまう。
本作ではそれを封じ、また『晏子』の時以上に主人公の動きを抑えたことで、派手さはないものの確かな存在感のある、もっと言えば遠い時代の歴史の話でありながら現実感にあふれた作品世界を構築している。
本作で主題となるのは、言葉の力である。
特に下巻に入り、子産が歴史の表舞台に立ってからは、政治や外交における彼の言葉が物語を牽引していく。
それは時には予言であったり、苦言であったり、弁明であったりするが、どれも直截でその論旨はわかりやすい。
その一つ一つの内容については本作をそれぞれに読んでいただきたいが、それらはしっかりと作品世界の歴史と現実に根付いたものとなっている。
現状に妥協して思考を放棄し、礼を平気で踏みにじったきた鄭国の政治や他国の振る舞いを、少年の子産とともに読者も見てきたことで、その言葉の力を実感を持って受け止めることができる。
それを作品世界のことにとどめるのも、現代日本への批判として受け止めるのも、自分自身への訓戒とするのも、あるいは反発してみせるのも、全てはそれぞれの読者に委ねられている。
ただ、どのように読もうとも今を生きる自分に何らかの形で訴えかけてくるものがあることは疑いなく、それは子産の言葉の力であり、著者の言葉の力でもある。
本書には他にも様々な人々の、様々な言葉が記される。それに付された著者の解説と併せてこの作品世界を味わってほしいと思う。
著者の言葉の力という点では、本作に限らず、著者の小説には現代では見慣れない漢語が非常に多い。
地名と人名も含めればよくわからない漢字が多く、読み仮名が振ってあるとはいえ敬遠する気持ちを持つ人もいるかもしれない。
だが、読んでいくと不思議とそれほど気にはならない。
漢字という表意文字の持つ力のおかげもあって、正確な意味は分からなくとも、文脈によって何となく意味がつかめてくるのである。
それはまさしく熟練した著者の言葉の力によるものだろう。
著者の作品は数多くあるが、本作は歴史と虚構とのバランスが最もとれていると、私は思う。
歴史研究が明らかにしてきた成果に基づきつつも、『春秋左氏伝』などに残る説話が持っている世界を著者が自身の作品世界として見事に昇華させており、作品世界を通じて、その元にある史実の春秋時代の空気を感じ、一方で現代に通じる普遍的な人間の呼吸を感じられる。
既に述べた通り、本作では世界が細やかに描写され、子産とともにその世界を生きていくことができるので、春秋時代についてよく知らないという人でも読み進められるのではないだろうか。
本作で著者の作品世界を気に入ったならば、他の作品も読んでみるとよい。
本作と関わるところでは、直木賞受賞作の『夏姫春秋』は鄭国についての本作の前史、『晏子』はほぼ同時代の斉の国の話、『湖底の城』は時代的に本作に接続する内容となっている。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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