モモ(ミヒャエルエンデ)書評レビュー:何度も読んでしまう不思議な一冊。

 

「モモ」を読むのはこれで何度目だろう。

世界的な名作とされているが、そんなことはどうでもいい。

私は「モモ」が大好きだ。

なぜこんなにモモに惹きつけられる付けられるのか改めて考えてみようと思う。

きっと最も大きな理由は、何もない(と思い込んでいる)自分を肯定してくれるからだ。

 

 

主人公モモは、何もない円形劇場跡の廃墟に、ある日突然現れる。

モモの身なりは、髪も洋服もみすぼらしく、「清潔と身だしなみをおもんずる人なら、まゆをひそめかねませんでした」とあるほどだ。

そして、モモはなんにもものを持っていない。

靴ですら、道で拾ったものをはく始末だ。

けれども、モモには不思議な力がある。

それは、人々の話を聴く力だ。

モモが話を聴いてくれると、人々は思いがけずに心の内を全部話してしまう。

モモは相槌も打たずに、ただ聴いているだけだ。

それなのに、人々は話し、それと同時に自分の中に答えを見つけ、穏やかな気持ちになって日常に帰って行くことができる。

その一連の流れを見ていると「ああ、そうだよなあ」としっくりくる自分に気付く。

やっぱり皆、話を聴いてもらいたいだけなんだよなあ、と。

きっと皆、本当はただ誰かに自分のことを気にかけてもらいたいだけなのに、周りの人たちと「正しい社会生活」を送ろうとしているうちに、いつの間にかお互いのその気持ち同士が複雑に絡まり合ってしまう。

そして本当はありもしない、大きな重い「問題」を背負ってしまうのだ。

そんな人々の「問題」を、モモはほぐしていく。

ただ何もせず、じっと話に耳を傾けるだけで。

「ただ話を聴いてもらえた」という経験が、どれだけの自己肯定感に繋がるかを、きっとモモは知らない。

というか、そんなこと考えることもないだろう。

そんな損得勘定、利害関係なしでそんなことができてしまうモモは、すごい特別な女の子なんだろうか。

いや、きっと違う。

本当は誰もができることなのだ。

だって、「何もしない」で話を聴くだけなのだもの。

ただ、その「何もしない」が難しい。

私たちは、いつの間にか忙しくなりすぎているから。

これこそ、時間泥棒の仕業なのではないかと思えるほどに。

 

 

物語の第二部から、灰色の男たちは登場する。

有名な「時間泥棒」だ。

彼らは、人知れず人々の日常生活に入り込み、言葉巧みに時間の節約を勧める。

そして、人々の時間を盗む仕組みを作って行ってしまうのだ。

人々の記憶からは、時間泥棒と会話をしたことは消え去ってしまう。

そのため、「何かがおかしい」と体のどこかでは気付いても、時間を節約することが辞められないのだ。

陽気な床屋さんはただ手早く客の髪を切るだけの店になり、人々の憩いの場であったレストランはファストフードの店となる。

また、モモの親友の一人観光ガイドのジジは、ただ消費されるだけのお話を量産する「嘘つきジロラモ」に成り下がり、もう一人の親友の道路掃除夫ベッボは、ただただ黙々と素早く機械的に掃除を済ませるだけの清掃員となってしまう。

物語の展開にぞっとするのは、私だけではないだろう。

そのどれもが、今の私たちの生活の中でよく知っている光景によく似ているからだ。

儲けは別にして客とおしゃべりを楽しむ個人商店は減り続け、全国どこに行ってもファストフードやコンビニの看板が並び、どの町も同じ風景だ。

また、演劇や音楽などその場に行かなければ味わえない芸術よりも、スマートフォン一つでどこでも見られる動画が好まれる。

そして、仕事に愛情を持って丁寧に取り組む人と、マニュアルに従って効率よく仕事を進めることが第一だと思う人、どちらが多いのかは、残念ながら聞くまでもない。

「時間泥棒」というかわいらしい言葉の雰囲気に、一見ファンタジーの世界を見るが、私たちに容赦なく突きつけられる現実に、はっとさせられるだろう。

「どうにかしなければならない、けれども私一人で何をすればいいのだろう」

そんな途方もないことに愕然とする。

けれども、そんな時こそ、モモの力が必要なのではないだろうか。

モモの「何もせずに、話を聴く力」が。

 

 

「ただ話を聴くだけ」そんな時間が贅沢な時間になってしまった現代。

私たちは、ただそれだけをするということに恐怖を覚えてしまう。

なぜならば、「それは生産的な行為」ではないからだ。

「何かをするのなら、そのことにより、何か成果物を生まなければならない」

生まれて、学校に通い、社会に出て働くその過程で、いつの間にか植え付けられてしまう価値観だ。

けれども、果たしてそうだろうか。

「何もせずに、話を聴くこと」はそんなに悪いことだろうか。

そもそも成果物って、何だよ。

モモは、そのことに気付かせてくれる。

忙しく動き回る日々の中で、立ち止まらせてくれる。

私がモモを読みたくなる時は、そのことを忘れそうになった時なのだろう。

そして、思い出し、安心する。

「ああ、そうか、それだけでいいんだよな」と。

成果物なんて、そもそも、ない。

もうこうやってここにいること、話をする、聴くことだけで十分なのだよな、と。

 

 

最後に、モモの中でも特に好きな場面を一つ紹介する。

ちなみに、いつでも読めるように付箋を貼っている。

読むたびにグッとくる場面が変わるから、付箋は増える一方なのだけど。

4章の道路掃除夫ベッポが自分の仕事に対する思いを語る場面だ。

ベッポはあまり器用なほうじゃなく、モモとジジ以外の人々からは変り者だと思われている。

話もすらすらとは言葉が出て来ず、たくさん時間がかかってしまうのだが、そんなベッポが、とっても長い道路を受け持ってしまったときのことをゆっくりゆっくりと話す。

「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん。わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな」

「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路が全部おわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。」

この言葉に何度救われたことか。

今抱えているいろいろなことの量や重さに、途方に暮れてしまうことがある。

けれども、今できることは、目の前の小さなことなのだから、そのことだけに力を注ぐ。

そしてそれが終われば、次、そしてまた、次。

それが自分にとって無理がないし、無理がなければ楽しむことができる。

くじけて倒れてしまうこともない。

「本当はそれでいいんだよな」とここでもまた忘れかけていたことを思い出させてくれる。

実体のない時間泥棒に追われて、焦って大切な物を見失いそうになる自分を、そっと立ち止まらせてくれるのだ。

 

 

みんな、そんなに大きな流れの中であくせくしないで、もっと目の前の小さなことを楽しめればいいのにな。

そう、素直に思う。

私が、モモに教えてもらったことだ。

私はいつしか、モモの視点ではなく、あくせく働く大人の視点で物語を読むようになってしまった。

けれど、いつでもそこに帰ることができる。

ページをめくると、いつでもモモがそこにいてくれるからだ。

そして、登場する町の人々の話と一緒に、私の話をただ聴いてくれる。

あなたも、もし時間泥棒にあってしまった予感が少しでもするならば、ぜひモモのお話を読んでほしい。

きっと、それまでの走るような時間が、嘘のようにゆったりと歩み始めるから。

私もまた、モモに会いにページをめくるだろう。


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最後まで読んでいただきありがとうございました。


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