この本は動物の権利という考えについて、動物の権利運動の実例と社会の反応等の状況を交えて概説し、読者に動物の権利について考えさせている本である。
この本は動物に権利はあるのだろうか?という疑問の問いかけから始まっている。
人間は動物を動物実験に使用したり、肉を食べたりしているがそれらは許されるのだろうか?ということでもある。
この問いかけに対し、動物の権利を擁護する活動家等と動物実験を行う会社等との間で激しい対立が生じ、時には犯罪行為まで行うことがあった。
この問題については、動物実験使用施設だけではなく家庭等身近なところまで議論が広がっている。
動物の取り扱いの歴史を振り返るとペットというものはほとんどなく、動物は利用するためだけに存在すると考えられてきた。
また、中世には疫病や飢饉等人間でさえ生きていくのが困難なことがあり、多くの子供が死んでいったので動物に憐れみをかける余裕はなかったと指摘している。
また、デカルトが考えたように動物は複雑な機械で痛みを感じないとも長く考えられてきた。
しかし、生体解剖が盛んになされ人間と動物の類似点が観察され、奴隷制度や児童労働に反対する啓蒙主義の時代になり動物の虐待に対しても異議が唱えられるようになった。
1822年にイギリスでは特定の動物を虐待から護る法律が成立した。
さらに、1824年には動物虐待防止協会がイギリスで結成された。
これらの団体は勢いを得て動物実験に反対する運動を行ったが、外科手術の発達や細菌学の進歩によって多くの人々が救われるようになると、動物実験は医学の進歩に必要なものと認知されるようになり、20世紀初頭までに勢いを失った。
20世紀の大半は動物に対する取扱いはほとんど変わらなかったが、60年代に公民権運動や女性の権利運動もなされたが、人々は70年代半ばになると「種差別」という偏見に気付いた。
この種差別は1975年にピーターシンガーが出版した「動物解放」によって広く知られるようになった。
シンガーは動物の解放とは、異なる能力や素質を持っており、それらに基づいて平等に配慮されることであると述べている。
ただ、彼は動物の権利については多くを述べておらず、「平等な思いやりを受ける権利」がある等と述べるにとどまっている。
そして、「痛みや苦しみや悪であるのだから、被害を被っているものの人種や性や種にかかわらず、これを阻止するか、または、できるだけ小さくすべきである」とシンガーは結論づけている。
動物を殺すことについても、人間では殺すことを認めず動物で認めるのは種差別であると指摘している。
では、どんな動物なら配慮しなくていいのだろうか?シンガーは痛みを感じたり喜びを味わったりできるかどうかが判断基準になるという。
「動物解放」は議論を巻き起こしトム・リーガンは「動物の権利の擁護」を執筆した。
リーガンもシンガーと同じような動物の取り扱いの結論に至っているが、シンガーは功利主義者であるが、功利主義は全体幸福が増加するなら動物実験は許容されると考えるが、リーガンはこれに反対し動物は「生得の価値」によって尊重される権利を持つと論じる。
シンガーの「動物解放」では工場畜産について心痛む描写で読者に衝撃を与えた。
畜産動物は飼育過程と輸送途中、処分される時の3回苦しみを受けなければならない。
例えばニワトリは窓のない鶏舎で飼われ戸外に出されることはなく、混みあいケンカをして傷つけ合う。
傷つけ合うのを防ぐためにクチバシを切り落とすがこれも痛みを伴う。
そして箱に詰められ処理場にトラックで運ばれコンベヤベルトに逆さに吊るされ切断機で処理される。
動物の側に立っている人々の中でも畜産の過程を人道的なものにすることを目指すだけではなく、リーガンが述べるように畜産の廃絶を主張する。
肉には栄養的に優れ肉食をやめると食肉産業は成り立たなくなるが、リーガンは肉食の理由として認めない。
肉の栄養は他の食物からも摂取することができ、畜産はそもそも動物の権利を侵害し不正だからだという。
最近では、菜食主義者が増えている。
肉食を擁護する者達は、「肉食によって畜産動物を産まれさせ生きる喜びを与えており、菜食はそれを奪うものだ」と反論するが、シンガーやリーガンらは命を与えながら処分するのは何の恩恵も与えることにならないと指摘する。
動物実験についてもシンガーは実験結果の多くは、わかりきった、つまらないものであると結論付けている。
例えば、「絶望の淵」と呼ばれるステンレス製の箱の中に45日間サルを閉じ込めた結果、重症の神経症行動を取るようになり、その症状は箱から出された後も長く続くことになった。
このことによって新しい知見が得られるだろうかとシンガーは疑問を呈している。
また、シャンプーや臭い消し、化粧品などの商品テストでウサギの目が使われ、ウサギは悲鳴を上げる。
動物の権利の擁護者は動物実験が多くの場合効果がないと指摘しその実例としてサリドマイドを挙げる。
サリドマイドは妊婦のつわりを抑えるための薬だが催奇性があるものの犬、猫、ニワトリ、ハムスター、ネズミの実験では障害が現れなかった。
しかし、科学者はウサギ、ハムスター、サルによる実験では障害が現れたため入念に動物実験をすればよかったと反論する。
動物実験の代替法や減らす方法が多数考案されている。
動物の権利関する議論や運動は多岐に渡り反対と賛成が入り乱れている。
この本では、事実や反対意見を検討したうえで私たち人間と動物にとって公正なものとなるように、私たち一人一人が考えていかなければならないと指摘している。
私はこの本を読んで興味深い点がいくつかあった。
1つは、60年代の公民権運動の後に70年代半ばの動物権利運動があったことと18世紀の啓蒙主義の時代に奴隷反対運動や児童労働反対運動があった後に動物虐待反対が生じたことである。
これは社会が人間の権利と動物の権利をひと続きのように考えていることを示していると感じるとともに、18世紀と20世紀で200年の時代の流れがあっても同じ現象が生じ人々の考えや行動は変わらないと感じた。
2つ目は、種差別という考えである。
人間と動物には共通点が多く、喜びや痛みを感じることが出来るという観点に立ち平等の配慮をしなければならないという考えは難しくないが、論理一貫しており素直に納得できるものであると感じた。
3つ目は、昔動物に配慮することのなかった時代には、飢餓や疫病など人間が生きるのも難しかったという点である。
時代が下るにつれて人間の生活がよくなり科学的知識は増えていったが、それに伴い動物への配慮もなされてきているという点である。
飼育している畜産動物や実験動物は、この本に記載されている種差別を踏まえれば社会の一員といってもいいのではないかと思う。
社会の一員を殺したり虐げたりする社会はいい社会とは言えないだろう。
動物についての議論は広く交わされており、模擬肉や培養肉産業が台頭し、ヴィーガンも着実に増えて言っており、21世紀は動物の権利の時代になるのではないかと思う。
そんな時代の流れの中心となる動物の権利について知識を得て自分の考えを明確にしておくことは社会を生きていく上で大きなメリットになるだろう。
この「動物に権利はあるか」は、動物の権利についてわかりやすく大切な論点が記載されているので、大変おすすめする本であり一読することをお勧めする。
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